特定非営利活動法人
福祉ワーキンググループ大野の歴史
1 なぜ活動をはじめたのか?
「介護保険制度への疑問から」・・・平成10年
社会福祉の制度が措置から契約に変わり、介護度によって受けられるサービスが変わるという「介護保険制度」が導入されることを知った。
「介護度」を決めるのは人間である。100人いれば100通りのケースがある。何を基準に判定するのか、その決め方に問題はないのか、人権無視に繋がりかねない制度ではないか、憲法違反の制度ではないのか、などなど、問題意識を持つ人たちに呼びかけ、学習することになった。
「地方自治への試金石」などというキャッチフレーズではあるが、自治体の職員も何から始めればいいのか暗中模索の状態だった。
2 どんなことからはじめたか?
*「法律の勉強」から「仲間づくり」
「福祉の切捨てになってはかなわない」「市民自らが制度を熟知して、使いこなさなければ、社会的弱者といわれる人たちは生きる場所を失ってしまう」「賢い市民を増やそう」という考えで、法律の勉強からスタートすることになった。
金沢大学の井上英夫教授に来ていただき、「介護保険とは?社会福祉とはどうあるべきなのか?」についての講演会を開催。大野公民館で、市民を中心に福祉関係者、市役所職員が100人以上集まり、真剣に学んだ。
*「地域への啓蒙」
自分たちが学んだ介護保険制度を地域に周知する手だては?・・・即席ミニ劇団を結成。
寸劇「金さん銀さん、すったもんだの介護保険」を社会福祉協議会主催の「敬老会」で、市内数箇所で上演した。
学習会などを重ねるうちに、「人間と老いは切り離せない」ことに気づき、「最後まで自分らしく生きられる社会づくり」は避けて通れない課題だと考える人が育っていったことが、順調に「輪を広げる」という成果につながった。
メンバーの一人は、その後、介護職に転職し、NPO法人を立ち上げて、「地域密着型小規模多機能施設」を開所している。
3 活動の経緯は?
平成10年に「福祉ワーキンググループin大野」を結成。学習会、先進地視察研修、映画会、劇団朋友「わがばば、わがまま奮闘記」公演、講演会など、主として、制度啓蒙活動を行った。
平成11年から、独自の「サロン」事業をスタートした。
お年寄りだけでなく、障がいがある人も幼児も、「誰でも、いつでも、安心していられる場所」があればいい。
土・日は既存施設は「デイサービス」がお休みになる。
介護をする家族は、疲れを癒す時間がないという現実をどうにかしようと、日曜日の居場所作りを計画した。
「サン・デイホームひだまりin蕨生」・・・ボランティアに支えられた取り組みの開始。
「介護職に誇りがもてない。自分の理想とする介護を実現したい」という仲間が、活動の中心になり、休日をやりくりし、ローテーションを組んで、がんばった。
最初のデイホームに選んだ場所(蕨生)は農村部で、隣は畑地だった。小川もあった。
利用者さんにはとても好評だった。みんなで、障子張りをしたり、用水で蟹を見つけて遊んだり、 サンマを七輪で焼いて食べたり、ホッとできる空間、時間を共有した。
利用料は、風呂・食事つきで、1日2,500円とした。
平成12年に、移転。
雪との戦いに負け、市街地に移ることを余儀なくされた。
私たちの活動が福井新聞に掲載されたことで、「どうせ空き家にしているのだから、自由に使って」と申し出てくださったご婦人があり、春日3丁目に移転し、活動を続けることができた。
利用者も少しずつ増え、「毎日でも来たい」という希望が強くなった。
ボランティア活動の限界を感じ、新しい方向性を模索し始めた。
平成13年、NPO法人取得準備に。
惣万佳代子さんたちが開いた「富山型デイ」を何回も視察、「いつでもだれでも」を大事にした福祉に共鳴、大野にも「富山型デイ」が必要なことを確認した。
NPO法人の経営ノウハウを、愛媛県松山市の故永和良之助先生の「ともの家」から学び、「自分たちもできるかもしれない」と、通所介護事業所の開所を決断した。
平成14年、NPO法人認証を取得。
平成15年、通所介護事業所「デイホームひだまりでい」を開所。定員:10名。
サロン事業を加え、小規模・多機能の居場所を提供する路線を堅持した。
「スローな福祉の会」の活動
「高齢者は、いざという時に誰を頼るのか」「地域は、高齢者を支えられるのか」「住民の助け合いで地域は守るにはどうすればいいのか」を確かめるべく、福井大学の高田洋子教授に協力をお願いし、事業所がある「春日地区」の高齢者を訪ねて聞き取りをしながら、「支え合いマップ」を作成した。
平成15・16年度の大野市と福井大学の連携事業として、大学生も加わって調査した結果を活動報告書「老いても安心して暮らせるまちづくりー大野市春日三丁目上区で考えるー」にまとめ、報告会を開き、市民に提出した。
この活動を通じて、区長さんが非常に強力な支援者となり、事業所が地域に溶け込むよう働きかけて下さった。
毎年開いている「ひだまり夏祭り」は、年々参加する地域住民が増えてきており、職員はうれしい悲鳴をあげている。
平成16年、通所介護事業所「デイホームぬくぬく」を開所。定員:10名。
2箇所目の小規模デイホームを作るにあたって、県の長寿福祉課に働きかけて、NPO活動を支援するという助成制度を創設してもらい、トイレなどを改修することができた。
県立大学の吉村洋子先生(看護学)から高齢者の看護について、学んだ。
開所直前に16年福井豪雨が発生、スタッフは総出で美山地域の応援に駆けつけ、被災された方々を送迎し、食事・入浴などのサービスを提供、てんやわんやのスタートだった。
平成19年、居宅介護支援事業所「ぬくぬく」を開設。
ケアマネージャー:1名でスタート。 22年に2人体制になった。(27年現在:1名)
利用者が最後まで地域で暮らせるよう、常に利用者や家族を支えることを信条にしている。
平成20年、訪問介護事業所「ひだまり」を開設。
利用者のニーズに応えながら、自分たちのスキルを高め、活動の幅を広げている。
平成23年7月1日、通所介護事業所「デイホームあそじま」を開所。定員 13名。
日本財団の助成を受け、新しいデイホームを村部に開所した。周囲が田畑という環境が非常に好評である。
4 今後の展望
平成27年3月、「デイホームひだまりでい」新築移転。定員15名。
県内初のNPO法人運営の介護保険事業所としてスタートした「デイホームひだまりでい」は、もともとが築40年の民家であったため、この12年でかなり老朽化が目立ってきていた。
平成27年度からの介護保険制度の改定を前に、理事会を重ね、県の助成制度に手を挙げた。
「平成26年度福井県世代間交流型デイサービス支援モデル事業」の助成を受け、新築。県の助成780万円を含め、総工事費は4300万円である。
世代間交流型デイサービスとは、近隣の住民がいつでも気軽に立ち寄れて、利用者との交流・ボランティア活動等の支援活動をしていただける「場」作りであり、「児童一時預かり」を含め、子育て家族の支援・学びの場を作り上げていく事業である。
平成15年、たった3人のメンバーでスタートした「介護保険制度の隙間を埋める小さなデイホーム」が、わずか12年で45人ものスタッフが支える3箇所のデイホームへと発展した大きな要因は、「最期まで自宅で自分らしく、周囲と関わりあいながら生きていたい」という住民のニーズがあったこと、さらにもう一つの大きな要因は、私たちのデイホームが、「働きたい。でも家庭や子供たたちを大事にしたいから職場を離脱せざるを得なかった」という女性の「自分自身で作り出す職場」となり得たからだと考えている。このような「支え合い」の仕組みは、私たちの町だけではなく、いろんな地域に生み出せるものであると確信している。
平成27年度の介護保険制度改定は、現場には非常に厳しいものとなっている。小規模事業所として、現状維持を目指しているが、国の方針がいまひとつ明確でない。
社会福祉法人化を勧める向きもあるが、当面はこのままNPO法人として、運営をしていく予定である。
平成27年6月 事務局長 米村輝子